横浜ベイスターズ 1998年優勝“マシンガン打線”を振り返る(前篇)

横浜ベイスターズ 1998年優勝“マシンガン打線”を振り返る(前篇)

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    gooスポーツ編集部
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セ・リーグ3位の横浜DeNAベイスターズがCSにて阪神タイガースと広島カープを破り、CSを「下克上」制覇。19年ぶりに日本シリーズ出場が決定し、パブリックビューイングを行った横浜スタジアムは大勢のファンが詰めかけ歓喜の声に包まれました。

今年のベイスターズの強力打線を語る際によく引き合いに出されるのが1998年優勝時のマシンガン打線。そこで、当時の活躍を振返り、選手のその後をご紹介します。

1998年日本一の立役者”マシンガン打線”のメンバー

1番 ショート 石井琢朗

1988年ドラフト外で入団、当初は投手での登録でしたが92年に野手に転向後めきめきと頭角をあらわした石井琢朗選手。優勝した年の打率は.314を記録、この年を始め4度盗塁王獲得しており、相手チームから最も塁に出したくない選手と思われていたのではないでしょうか。まさにマシンガン打線の”切り込み隊長”の異名を取るのも納得といえるでしょう。

2009年に広島カープに移籍、選手兼コーチを経て現役引退後もコーチとして広島に残留。2016年、一軍打撃コーチに就任しました。

横浜「マシンガン打線」の1番だった石井は、通算2432安打を放った現役時代さながらの「しつこさ」を打線に植え付けた。

出典 妙だった広島・新井の起用法 先発外しは石井コーチ案(スポニチ)

優勝した昨年から打撃担当となった石井琢朗コーチである。ただ、打ったり振ったりするだけの練習では、どうしても単調になりやすい。工夫して目的をはっきりさせれば、選手たちもより意欲的に取り組めるからと、常に知恵を絞っているのだ。

出典 カープ優勝を支える2人の“鬼”(WEDGE)

と、打撃コーチになった年に、広島カープをリーグ優勝に導きチームの大躍進に一役買った指導者として活躍しました。
今シーズンいっぱいで広島を退団。次の活躍の場について様々な噂はありますが、どのような進路を取るのか今後の動向に注目です。

2番 センター 波留敏夫

1993年のドラフト2位で社会人野球の熊谷組から逆指名入団し、94年のオープン戦で初打席本塁打デビュー。ガッツあふれるプレーで一番バッターに続けとヒットを量産し、その活躍から通称「ハマの核弾頭」と呼ばれました。

現役引退後は長年にわたり古巣の横浜で打撃コーチだけでなく守備・走塁コーチも務めました。現在は中日で打撃コーチを務め、後任の育成に勤しんでいます。

3番 レフト 鈴木尚典

1990年にドラフト4位で地元の横浜高校より横浜大洋ホエールズ(現 横浜DeNAベイスターズ)に入団した横浜一筋の生え抜き選手。1997年と98年には首位打者にも輝き、当時のチームを牽引、日本一に導いた立役者の一人と言えるでしょう。

2008年の現役引退時のコメントで

「最終的に横浜以外のユニホームを着てプレーする自分が想像できなかった。高校から横浜で育ち、愛着は捨てがたかった。これからは違う形でチームに貢献していきたい」

出典 鈴木尚引退「横浜以外は考えられない」(日刊スポーツ)

と、横浜愛あふれるコメント。引退後もファームでのコーチ経験を経て横浜ベイスターズの球団職員となり、野球教室など地域に密着した野球振興を担当しています。

4番 セカンド ロバート・ローズ

1993年に入団したマシンガン打線の主砲。横浜ベイスターズ史上、数々の助っ人外国人選手の中でも、安定してヒットを量産し打点に絡んだローズ選手、ファンならずとも今でも強く印象に残っている方も多いのでは。優勝年の活躍もさることながら、翌99年には

この年ローズは春から打ちまくると、プロ野球史上初めてオールスター前に100打点に到達する。

出典 オールスターで活躍すると横浜戦士は後半戦に大爆発?ローズ、内川が大記録(AbemaTIMES)

と、開幕時から好成績を記録し、シーズン終了時には打率.369、192安打、153打点という驚異的な数字を記録しました。その活躍はまさに安打製造機といえるでしょう。2017年現在、シーズンでの153打点は歴代2位の記録となっております。

2000年限りで横浜を退団したローズは03年にロッテと契約も開幕前に退団した。

出典 “異色の助っ人”横浜・ローズが史上初3度目のサイクルヒット【1999年6月30日】(ベースボールマガジン社)

2000年初頭に日本球界から去ってもなお伝説的な活躍はいまだにファンの間で語り継がれています。現在はアメリカに帰国し、マイナーリーグのコーチとして活躍しているようです。

次回は下位打線をご紹介します。

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